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zoom RSS 震災ボランティア日記2「気仙沼にて活動」

<<   作成日時 : 2012/01/21 00:48   >>

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気仙沼駅に到着すると、既に夜。そこに、マサシさんが紹介してくれた、すがとよ酒店のおかみさんであるフミコさんが迎えに来てくれました。フミコさんは、津波で夫を亡くし、店舗も大破してしまい、いまは仮設店舗に移って、残された家族で酒屋を続けているということです。

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仮設店舗

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この「負けねえぞ、気仙沼」という字は、フミ子さん自らが書いたそうです。

そのすがとよさんに紹介してもらい、全国の消防局員OBの方々が立ち上げたレスキューチームの宿営場に泊めてもらうことに。レスキューチーム「集結」という名前のボランティアグループで、気仙沼市内の広場に設置されたトレーラーに寝泊りしながら活動しているということです。本来は消防OBもしくは、イスズ自動車の社員しか受け入れていないということですが、すがとよさんの紹介で、とりあえず泊めてもらえることになった。

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トレーラーは実に立派。すでに7−8人のメンバーが晩御飯を食べつつ、晩酌をしており、男くさいけど和やかなムード。「集結」のメンバーは消防の猛者が中心なようで、隊長は「うちがやってるのは、かなりハードな作業だけどお前、大丈夫か?」とやや脅し気味。とはいえ、体が悲鳴を上げるくらいのハードワークをやりたくて来たので、そこは願ったり叶ったり。着いたばかりなのに、地元の方が差し入れてくれた美味しい刺身などをいただき、大満足でした。

本当は、すぐに気仙沼・大島に渡ろうと思っていたけれど、一宿一飯の恩義があるので、予定変更して、しばらく気仙沼の作業を手伝うことにした。

翌日から、作業に参加。まず気仙沼のボランティアセンターでスコップなどの装備を借りて、「集結」の軽トラなどで、津波被害のひどかった鹿折地区へ赴く。
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思った以上の惨状に言葉を失う。「もうガレキ撤去も終盤」と聞いていたので、すっかり片付いているのか思ったら、全然そうでもない。テレビでしか見たことのない景色の中に自分の身をおくと、「これは現実なのか?」と、今更ながら、その被害のすさまじさに戦慄する。

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今日の作業は、津波で建物が流された跡地に、復興市場を作るため、敷地のガレキを撤去するというもの。メンバーは6人。現役消防局員2人と、いすずの社員2人、それと自分と、隊長。破壊されたブロックや木材などを運び出すとともに、たまった泥を掘って、遺留品などが見つかれば、それを保管しておく。土方作業みたいなのは、長年やったことがなかったので、コンクリートブロックを持つだけでも一苦労。鉄線を切るための道具なども持ってきているけれど、使い方がさっぱりわからない。ガレキの中からは、写真やCDなども出てくる。まさか、まだこんなに片付いていないとは想像していなかった。
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ただひたすら、汗をかきつつ作業。1−2時間はあっという間に過ぎていく。途中、すがとよの若旦那さんが陣中見舞いにやってきてくれた。彼は、津波が来たときに、バイクに乗っていて、背後から迫ってくる津波から、何とか逃げ切れたという。そのときの様子など、雑談をしていると、若旦那さんがガレキの中から、古いパスポートを見つけ、手に取った。それは10年ほど前に失効した期限切れのパスポートだった。おそらくここに住んでいた人のものなのか。誰かが「これはさすがに必要ないですよね」というと、若旦那さんは「いや、でももしかしたら、この人の遺影として必要になるかもしれない」と言った。そんな発想は外から来た人間には、全く思いつかなかった。彼が見てきた、震災後の7ヶ月がどれほど重いものなのか、自分には想像することもできない。

その後、数日は会社から派遣されてきたいすず自動車の社員さんたちと、活動をともにした。気仙沼港に近い2階建ての商店では、半崩壊している建物の二階に上がって、必要な貴重品などを、家主のおばあちゃんに代わって、店の外に運び出す作業を手伝った。見るからに、そのうちに崩れてしまいそうな店内。東京消防庁レスキュー隊OBの隊長が、状況を見て、行動の判断をしてくれるから、大丈夫だとは思うけれど、こんな半崩壊の建物に入るのが初めての自分は、ちょっとビビる。さすがにヘルメットや安全靴がないとこれは怖い。震災から約7ヶ月が過ぎていたけれど、おばあちゃんは、いまだ店の2階にあがったことがないという。それで、店内の概念図を書いてもらい、おばあちゃんに「取ってきてほしいもの」を聞いて、それを運び出すという手順。ヘッドランプをつけて、真っ暗な店の中に入る。

泥があちこちに散乱して、みるも無残な店内。独特の悪臭もする。階段で2階に上がって驚いた。家の中のありとあらゆる引き出しが、引っ張りだされて、中にあるすべてのものが散乱して、散らかされている。
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これは津波ではなく、明らかに人の手が入っている。間違いなく盗賊の仕業だ。隊長に聞くと、震災後に、気仙沼に限らず、ありとあらゆる被災地に、盗賊集団が大挙して押し寄せたらしい。そして、住民が避難してもぬけの殻になった住宅で、じっくり時間をかけて、貴重品などを物色したという。まさに火事場泥棒だ。こんな様子をみたら、おばあちゃんは卒倒してしまうのではないか、と思うほどに無残な状況。津波だけでなく、さらなる空き巣被害。血も涙もない犯行とはこのことだ。せめて、おばあちゃんが大事にしていたものだけでも、回収して届けてあげたいと思い、家の中にあるはずの「おじいちゃん形見のカメラ」などを探す。グッチャグチャの家の中で格闘すること数時間、カメラや写真などの思い出の品もなんとか見つかった。「これなのよ。これ、おじいさんがずっと大事にしてた・・・」。大した役には立てないけれど、こういう瞬間はやっぱり嬉しい。

数時間、家の中で必要なものを探して格闘しつづけると、相当な荷物が出てきた。しかし、それを運ぶ場所はない。おばあちゃんは震災後、息子の家庭にお世話になっているそうだけど、部屋がないので、この荷物を運ぶ場所がないという。それでもおばあちゃんは「あれも、これも、みんな持っていきたい。大事なものだからね」という。ボランティア経験の長い隊長は、この様子を見て「かわいそうだけど、全部もっていってたら、きりがない。被災した人たちは、思い出のあるものを全部もっていきたいというけど、そんな場所はないのが現実なんだ」と。まだ被災者の方の姿を見慣れていない自分としては、少しでも多くのものを運び出させてあげたくなってしまうけれど、半端に情をかけても、どうしようもないこともあるのだろう。

結局、荷物をすべて運ぶのは無理なので、ある程度選別して、それをおばあちゃんの友人数人の家に、ちょっとずつ分けて保管してもらうことになった。軽トラで運んで、引越しの要領で運び込む。どこの家も、余分なスペースなんてない。だけど、友人たちは、文句も言わずに手狭な家の中に、荷物を運び込むことを了承してくれる。人同士のつながりって、とても大事だとあらためて思う。「お兄ちゃんたち、お疲れ様。ありがとね。お茶っこ飲んでって」と人懐っこい笑顔。お茶を飲みつつ、おばあちゃんたちとおしゃべりをする。どこにいっても、日本のじいちゃんばあちゃんってこんな感じだなと思う。ただ違うのは、ここが被災地だということ。そして、それは、拭い去れない傷跡を、そんなおばあちゃんたちの中に残している。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
がれき(本当はこの言葉も使いたくないのですが…)の片付け、
いろいろなものがでてきて本当に辛いですね。
そういえば、わたしが帰った日が復興市場のオープン日でした。
店舗数も多いし、たくさんが人が集って賑わっていました!
kozu
2012/01/22 00:57
kozuさん、一口に、ガレキと言ってしまうことへの違和感はありますよね。もとは一人ひとりの気持ちのつまった家だったりするわけだし。復興市場のオープンだったんですか。まだ見に行ってないので、次行ったときにはお客さんとして買いにいきたいですね!
yuya
2012/01/22 08:52

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