災害ボランティア日記4「気仙沼大島の1日」
個人ボランティアの朝は早い。6時半に起床して、寝泊りする公園で、カロリーメイトやら雑炊やら簡単な食事を取った後、公民館へ向かう。7時の開館と同時に、入館し、公民館内の共用スペース(廊下や階段、トイレなど)を掃除する。もちろん掃除は、義務でもなんでもないけれど、これまで長期ボランティアの人が慣習的に担当してきたそうだ。公民館の掃除をボランティアがすべきなのかどうかは、到着したばかりの段階で、事情が飲み込めない自分にはよく分からないけれど、ある種の”伝統”みたいになっているなら、遅れてやってきた自分があえて否定する必要もない。郷に入っては郷に従え、ということで、とりあえずは、掃除に加わることにする。
一般のボランティアが公民館にやってくるのは午前8時半ころ。それから作業現場を紹介され、午前9時から作業開始となる。気仙沼本土では、お役所的というか、やや堅苦しい事務的な手続きがあったけれど、ここ大島では島特有のゆるさと言おうか、「そのうち、担当者が来ると思うので、和室でお茶でも飲んでまっててください」などと言われたりする。作業現場も直前に変わったりすることもある。
安全靴や、手袋、ゴーグル、長靴など装備は、基本的に個人が用意すべきだが、公民館にも相当数の装備があり、必要に応じて、借りることも可能だ。無論、スコップやのこぎり、レーキなど作業道具は揃っている。そういった装備を軽トラックの荷台に乗せて、現場に向かうわけだ。
大島に到着した翌日には、団体ボランティアが入っていた。関東から来た生命保険会社「フコク生命」の社員60人。自分を含む個人ボランティアもフコク生命さんと同じ現場に入る。
作業内容は、津波をかぶった田んぼの草取りと塩がついた部分の泥削り。津波の被害というと、直接的に流された家などを思い浮かべるけれど、潮をかぶった田畑の再生というのも切実な問題で、こういった作業はまだまだ進んでいない。田畑から塩分を取り除いて、来年に備えるのが作業の目的だ。
作業自体は単純で、ひたすら草をかり、泥をスコップで削り、それを一輪車で運んで、土手を作る。新人研修で来ている社員さんたちは、修学旅行みたいなノリで楽しそうだ。「被災地だからといって、静かに作業をする必要はないし、こうやって楽しんでくれるのが一番」と島民の方もいう。
60人が一日作業して、結局片付いたのは田んぼ2-3枚ほど。全体から見ればわずかだけど、地道に続けていくしかないのだろう。作業に参加した社員たちも、それなりに充実感を覚えたようだ。初めて島の作業に参加した自分としては、昼休みの休憩が長めだったため、それほど疲労感はない。秋晴れのもと、作業ができて気持ちよかった。
現場での作業は午後4時には終了。団体さんはそのまま宿に帰るけれど、個人ボランティアはその後は、軽トラックで公民館に戻って、使用した道具を洗浄する。高圧洗浄機で、スコップなどについた泥を落として、乾かして、装備を返却して、使用済みの手袋などを洗濯して、一日の作業が終了。最後は、事務局でおしゃべりなどして、公民館が閉まる午後5時過ぎころ、野営している公園へ戻る。
それから車で、島内にある国民休暇村までいって、そこで風呂に入る。沸かし湯だけど、十分快適。
晩御飯は、自炊もするけれど、この日は近所のおじいちゃんが夜ご飯に招いてくれて、島で採れたばかりという素材を使ったマツタケご飯をご馳走してくれた。えらい立派なマツタケだ。「島のために働いてくれてありがとう。たくさん食べてってね」とお礼を言われるけれど、まだ大した働きもしていない自分もご相伴させてもらって申し訳ない。こうやってよくしてもらうと、もっとがんばって作業しなきゃ、と思えてくる。おじいちゃんおばあちゃんたちは、すでに80歳近いけれど、とても元気で、がんがん下ネタを連発する。これが島のスタンダードか・・・と少々圧倒される。
島の夜はまだ暗い。営業している店も少ないし、街頭もあまりない。反面、星の数は都会とは比較できないほど多い。夜になるとやることもないので、しばし星を見上げたのち、早々に眠りに就く。力仕事をしたあとの夜は、早々に眠くなる。就寝は9時だったり、10時だったり。一日はあっという間に過ぎる。そんな健康的な生活がそれからしばらく続くことになる。
一般のボランティアが公民館にやってくるのは午前8時半ころ。それから作業現場を紹介され、午前9時から作業開始となる。気仙沼本土では、お役所的というか、やや堅苦しい事務的な手続きがあったけれど、ここ大島では島特有のゆるさと言おうか、「そのうち、担当者が来ると思うので、和室でお茶でも飲んでまっててください」などと言われたりする。作業現場も直前に変わったりすることもある。
安全靴や、手袋、ゴーグル、長靴など装備は、基本的に個人が用意すべきだが、公民館にも相当数の装備があり、必要に応じて、借りることも可能だ。無論、スコップやのこぎり、レーキなど作業道具は揃っている。そういった装備を軽トラックの荷台に乗せて、現場に向かうわけだ。
大島に到着した翌日には、団体ボランティアが入っていた。関東から来た生命保険会社「フコク生命」の社員60人。自分を含む個人ボランティアもフコク生命さんと同じ現場に入る。
作業内容は、津波をかぶった田んぼの草取りと塩がついた部分の泥削り。津波の被害というと、直接的に流された家などを思い浮かべるけれど、潮をかぶった田畑の再生というのも切実な問題で、こういった作業はまだまだ進んでいない。田畑から塩分を取り除いて、来年に備えるのが作業の目的だ。
作業自体は単純で、ひたすら草をかり、泥をスコップで削り、それを一輪車で運んで、土手を作る。新人研修で来ている社員さんたちは、修学旅行みたいなノリで楽しそうだ。「被災地だからといって、静かに作業をする必要はないし、こうやって楽しんでくれるのが一番」と島民の方もいう。
60人が一日作業して、結局片付いたのは田んぼ2-3枚ほど。全体から見ればわずかだけど、地道に続けていくしかないのだろう。作業に参加した社員たちも、それなりに充実感を覚えたようだ。初めて島の作業に参加した自分としては、昼休みの休憩が長めだったため、それほど疲労感はない。秋晴れのもと、作業ができて気持ちよかった。
現場での作業は午後4時には終了。団体さんはそのまま宿に帰るけれど、個人ボランティアはその後は、軽トラックで公民館に戻って、使用した道具を洗浄する。高圧洗浄機で、スコップなどについた泥を落として、乾かして、装備を返却して、使用済みの手袋などを洗濯して、一日の作業が終了。最後は、事務局でおしゃべりなどして、公民館が閉まる午後5時過ぎころ、野営している公園へ戻る。
それから車で、島内にある国民休暇村までいって、そこで風呂に入る。沸かし湯だけど、十分快適。
晩御飯は、自炊もするけれど、この日は近所のおじいちゃんが夜ご飯に招いてくれて、島で採れたばかりという素材を使ったマツタケご飯をご馳走してくれた。えらい立派なマツタケだ。「島のために働いてくれてありがとう。たくさん食べてってね」とお礼を言われるけれど、まだ大した働きもしていない自分もご相伴させてもらって申し訳ない。こうやってよくしてもらうと、もっとがんばって作業しなきゃ、と思えてくる。おじいちゃんおばあちゃんたちは、すでに80歳近いけれど、とても元気で、がんがん下ネタを連発する。これが島のスタンダードか・・・と少々圧倒される。
島の夜はまだ暗い。営業している店も少ないし、街頭もあまりない。反面、星の数は都会とは比較できないほど多い。夜になるとやることもないので、しばし星を見上げたのち、早々に眠りに就く。力仕事をしたあとの夜は、早々に眠くなる。就寝は9時だったり、10時だったり。一日はあっという間に過ぎる。そんな健康的な生活がそれからしばらく続くことになる。



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