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ピリカ・アフリカ・ブリタニカ?英国留学珍遊記

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ピリカ・アフリカ・ブリタニカ?英国留学珍遊記
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20代最後の年に、青年海外協力隊のエイズ対策隊員としてアフリカ・マラウイに渡った赤味噌王国名古屋出身の山系ライター・中村雄弥の日記帳。興味関心の中心は、ジャーナリズム・山岳スノーボード・川・沢・紛争・脳・スープカレー・ギネスビール・文化人類学・アフリカ・アラスカ・餃子・マテ茶・ストイコビッチなどなど。2009年初夏に帰国し、中日ドラゴンズからFA宣言。現在はイギリス、NorwichにあるUniversity of East Anglia開発学部修士過程に在籍。Rural Development を専攻。今後の人生は不明。老後は安曇野か富良野で、森のカレー屋さん。冬の斜里岳をこよなく愛す。Yuya Nakamura's blog
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災害ボランティア日記4「気仙沼大島の1日」

2012/01/28 22:55
個人ボランティアの朝は早い。6時半に起床して、寝泊りする公園で、カロリーメイトやら雑炊やら簡単な食事を取った後、公民館へ向かう。7時の開館と同時に、入館し、公民館内の共用スペース(廊下や階段、トイレなど)を掃除する。もちろん掃除は、義務でもなんでもないけれど、これまで長期ボランティアの人が慣習的に担当してきたそうだ。公民館の掃除をボランティアがすべきなのかどうかは、到着したばかりの段階で、事情が飲み込めない自分にはよく分からないけれど、ある種の”伝統”みたいになっているなら、遅れてやってきた自分があえて否定する必要もない。郷に入っては郷に従え、ということで、とりあえずは、掃除に加わることにする。
一般のボランティアが公民館にやってくるのは午前8時半ころ。それから作業現場を紹介され、午前9時から作業開始となる。気仙沼本土では、お役所的というか、やや堅苦しい事務的な手続きがあったけれど、ここ大島では島特有のゆるさと言おうか、「そのうち、担当者が来ると思うので、和室でお茶でも飲んでまっててください」などと言われたりする。作業現場も直前に変わったりすることもある。

 安全靴や、手袋、ゴーグル、長靴など装備は、基本的に個人が用意すべきだが、公民館にも相当数の装備があり、必要に応じて、借りることも可能だ。無論、スコップやのこぎり、レーキなど作業道具は揃っている。そういった装備を軽トラックの荷台に乗せて、現場に向かうわけだ。

大島に到着した翌日には、団体ボランティアが入っていた。関東から来た生命保険会社「フコク生命」の社員60人。自分を含む個人ボランティアもフコク生命さんと同じ現場に入る。
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作業内容は、津波をかぶった田んぼの草取りと塩がついた部分の泥削り。津波の被害というと、直接的に流された家などを思い浮かべるけれど、潮をかぶった田畑の再生というのも切実な問題で、こういった作業はまだまだ進んでいない。田畑から塩分を取り除いて、来年に備えるのが作業の目的だ。
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作業自体は単純で、ひたすら草をかり、泥をスコップで削り、それを一輪車で運んで、土手を作る。新人研修で来ている社員さんたちは、修学旅行みたいなノリで楽しそうだ。「被災地だからといって、静かに作業をする必要はないし、こうやって楽しんでくれるのが一番」と島民の方もいう。

60人が一日作業して、結局片付いたのは田んぼ2−3枚ほど。全体から見ればわずかだけど、地道に続けていくしかないのだろう。作業に参加した社員たちも、それなりに充実感を覚えたようだ。初めて島の作業に参加した自分としては、昼休みの休憩が長めだったため、それほど疲労感はない。秋晴れのもと、作業ができて気持ちよかった。

現場での作業は午後4時には終了。団体さんはそのまま宿に帰るけれど、個人ボランティアはその後は、軽トラックで公民館に戻って、使用した道具を洗浄する。高圧洗浄機で、スコップなどについた泥を落として、乾かして、装備を返却して、使用済みの手袋などを洗濯して、一日の作業が終了。最後は、事務局でおしゃべりなどして、公民館が閉まる午後5時過ぎころ、野営している公園へ戻る。

それから車で、島内にある国民休暇村までいって、そこで風呂に入る。沸かし湯だけど、十分快適。

晩御飯は、自炊もするけれど、この日は近所のおじいちゃんが夜ご飯に招いてくれて、島で採れたばかりという素材を使ったマツタケご飯をご馳走してくれた。えらい立派なマツタケだ。「島のために働いてくれてありがとう。たくさん食べてってね」とお礼を言われるけれど、まだ大した働きもしていない自分もご相伴させてもらって申し訳ない。こうやってよくしてもらうと、もっとがんばって作業しなきゃ、と思えてくる。おじいちゃんおばあちゃんたちは、すでに80歳近いけれど、とても元気で、がんがん下ネタを連発する。これが島のスタンダードか・・・と少々圧倒される。

島の夜はまだ暗い。営業している店も少ないし、街頭もあまりない。反面、星の数は都会とは比較できないほど多い。夜になるとやることもないので、しばし星を見上げたのち、早々に眠りに就く。力仕事をしたあとの夜は、早々に眠くなる。就寝は9時だったり、10時だったり。一日はあっという間に過ぎる。そんな健康的な生活がそれからしばらく続くことになる。
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震災ボランティア日記3「気仙沼大島との出会い」

2012/01/26 23:41
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しばらく気仙沼での作業をした後、予定通り、大島へ移動することにした。気仙沼へ来る前、そこに「大島」という離島があることを知らなかった。「大島」と言えば、伊豆大島か奄美大島、というのが自分の常識。マッサージ師マサシさんに薦められ、気仙沼大島へ渡ることにしたのはいいけれど、どんなところなのかさっぱり分からない。消防ボランティアグループ「集結」の隊長さんたちによると、大島の被害は相当ひどいという。一説に「気仙沼の防波堤」と言われるように、大島はちょうど気仙沼市街と太平洋を結ぶ間に位置し、今回の津波においては「波が島を横断した」そうだ。かつて島に伝わる伝説で、「津波によって島が3つに分断された」という言い伝えがあったそうだけど、今回の地震ではまさに伝説が再現されたという。
 マサシさんによると、まだ現地ではガレキ撤去作業が終わっていないということなので、ぜひ早い段階で島に行っておきたいと考えた。ただ「大島に行く」と、気仙沼の人々に伝えると、多くの人はこう反応した。「一度大島にボランティアに行くと、なかなか帰って来れないらしいよ・・・」。そのときは、意味がよく分からなかったけれど、あとでその意味を知ることに。

フェリーで、気仙沼港から大島までわずか20分。片道400円の船旅です。
気仙沼水道を進んでいくと、両岸の惨状がいやでも目に入る。そして、あっという間に大島着。到着した裏の浜には、ガレキの山が積みあがっていました。
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大島には、先行して現地入りしていた青年海外協力隊OBであるホソカワさんがいたので、自炊生活に加えてもらうことになった。10月中旬の段階で、長期ボランティアとして島に滞在しているのは、ホソカワさんと九州から来た歌姫ハルナちゃんの、わずか2人だった。なので自分が3人目。そのお二人は、それぞれ5カ月と3カ月も現地に滞在されているという。なので、もう雰囲気からして島の人みたい。そこへフラッとやってきた自分が加わったが、島のことをまるで知らないので、明らかに浮いている。が、まあ最初は仕方ない。

島の雰囲気は、思ったより明るい感じがした。海辺の集落などは津波で軒並みやられているけれど、高台は、ほとんど被害を受けていないので、島内においても被災状況の落差は激しい。大島災害対策本部のある公民館は、そんな高台の頂上にある。いわゆるボランティアセンターは島内にないので、ボランティアは公民館を拠点として活動している。

ボランティアの控え室的な位置づけの和室
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参考 気仙沼大島災害対策本部の公式ブログ
http://ameblo.jp/kesennumaoshima-saitai/
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震災ボランティア日記2「気仙沼にて活動」

2012/01/21 00:48
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気仙沼駅に到着すると、既に夜。そこに、マサシさんが紹介してくれた、すがとよ酒店のおかみさんであるフミコさんが迎えに来てくれました。フミコさんは、津波で夫を亡くし、店舗も大破してしまい、いまは仮設店舗に移って、残された家族で酒屋を続けているということです。

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仮設店舗

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この「負けねえぞ、気仙沼」という字は、フミ子さん自らが書いたそうです。

そのすがとよさんに紹介してもらい、全国の消防局員OBの方々が立ち上げたレスキューチームの宿営場に泊めてもらうことに。レスキューチーム「集結」という名前のボランティアグループで、気仙沼市内の広場に設置されたトレーラーに寝泊りしながら活動しているということです。本来は消防OBもしくは、イスズ自動車の社員しか受け入れていないということですが、すがとよさんの紹介で、とりあえず泊めてもらえることになった。

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トレーラーは実に立派。すでに7−8人のメンバーが晩御飯を食べつつ、晩酌をしており、男くさいけど和やかなムード。「集結」のメンバーは消防の猛者が中心なようで、隊長は「うちがやってるのは、かなりハードな作業だけどお前、大丈夫か?」とやや脅し気味。とはいえ、体が悲鳴を上げるくらいのハードワークをやりたくて来たので、そこは願ったり叶ったり。着いたばかりなのに、地元の方が差し入れてくれた美味しい刺身などをいただき、大満足でした。

本当は、すぐに気仙沼・大島に渡ろうと思っていたけれど、一宿一飯の恩義があるので、予定変更して、しばらく気仙沼の作業を手伝うことにした。

翌日から、作業に参加。まず気仙沼のボランティアセンターでスコップなどの装備を借りて、「集結」の軽トラなどで、津波被害のひどかった鹿折地区へ赴く。
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思った以上の惨状に言葉を失う。「もうガレキ撤去も終盤」と聞いていたので、すっかり片付いているのか思ったら、全然そうでもない。テレビでしか見たことのない景色の中に自分の身をおくと、「これは現実なのか?」と、今更ながら、その被害のすさまじさに戦慄する。

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今日の作業は、津波で建物が流された跡地に、復興市場を作るため、敷地のガレキを撤去するというもの。メンバーは6人。現役消防局員2人と、いすずの社員2人、それと自分と、隊長。破壊されたブロックや木材などを運び出すとともに、たまった泥を掘って、遺留品などが見つかれば、それを保管しておく。土方作業みたいなのは、長年やったことがなかったので、コンクリートブロックを持つだけでも一苦労。鉄線を切るための道具なども持ってきているけれど、使い方がさっぱりわからない。ガレキの中からは、写真やCDなども出てくる。まさか、まだこんなに片付いていないとは想像していなかった。
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ただひたすら、汗をかきつつ作業。1−2時間はあっという間に過ぎていく。途中、すがとよの若旦那さんが陣中見舞いにやってきてくれた。彼は、津波が来たときに、バイクに乗っていて、背後から迫ってくる津波から、何とか逃げ切れたという。そのときの様子など、雑談をしていると、若旦那さんがガレキの中から、古いパスポートを見つけ、手に取った。それは10年ほど前に失効した期限切れのパスポートだった。おそらくここに住んでいた人のものなのか。誰かが「これはさすがに必要ないですよね」というと、若旦那さんは「いや、でももしかしたら、この人の遺影として必要になるかもしれない」と言った。そんな発想は外から来た人間には、全く思いつかなかった。彼が見てきた、震災後の7ヶ月がどれほど重いものなのか、自分には想像することもできない。

その後、数日は会社から派遣されてきたいすず自動車の社員さんたちと、活動をともにした。気仙沼港に近い2階建ての商店では、半崩壊している建物の二階に上がって、必要な貴重品などを、家主のおばあちゃんに代わって、店の外に運び出す作業を手伝った。見るからに、そのうちに崩れてしまいそうな店内。東京消防庁レスキュー隊OBの隊長が、状況を見て、行動の判断をしてくれるから、大丈夫だとは思うけれど、こんな半崩壊の建物に入るのが初めての自分は、ちょっとビビる。さすがにヘルメットや安全靴がないとこれは怖い。震災から約7ヶ月が過ぎていたけれど、おばあちゃんは、いまだ店の2階にあがったことがないという。それで、店内の概念図を書いてもらい、おばあちゃんに「取ってきてほしいもの」を聞いて、それを運び出すという手順。ヘッドランプをつけて、真っ暗な店の中に入る。

泥があちこちに散乱して、みるも無残な店内。独特の悪臭もする。階段で2階に上がって驚いた。家の中のありとあらゆる引き出しが、引っ張りだされて、中にあるすべてのものが散乱して、散らかされている。
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これは津波ではなく、明らかに人の手が入っている。間違いなく盗賊の仕業だ。隊長に聞くと、震災後に、気仙沼に限らず、ありとあらゆる被災地に、盗賊集団が大挙して押し寄せたらしい。そして、住民が避難してもぬけの殻になった住宅で、じっくり時間をかけて、貴重品などを物色したという。まさに火事場泥棒だ。こんな様子をみたら、おばあちゃんは卒倒してしまうのではないか、と思うほどに無残な状況。津波だけでなく、さらなる空き巣被害。血も涙もない犯行とはこのことだ。せめて、おばあちゃんが大事にしていたものだけでも、回収して届けてあげたいと思い、家の中にあるはずの「おじいちゃん形見のカメラ」などを探す。グッチャグチャの家の中で格闘すること数時間、カメラや写真などの思い出の品もなんとか見つかった。「これなのよ。これ、おじいさんがずっと大事にしてた・・・」。大した役には立てないけれど、こういう瞬間はやっぱり嬉しい。

数時間、家の中で必要なものを探して格闘しつづけると、相当な荷物が出てきた。しかし、それを運ぶ場所はない。おばあちゃんは震災後、息子の家庭にお世話になっているそうだけど、部屋がないので、この荷物を運ぶ場所がないという。それでもおばあちゃんは「あれも、これも、みんな持っていきたい。大事なものだからね」という。ボランティア経験の長い隊長は、この様子を見て「かわいそうだけど、全部もっていってたら、きりがない。被災した人たちは、思い出のあるものを全部もっていきたいというけど、そんな場所はないのが現実なんだ」と。まだ被災者の方の姿を見慣れていない自分としては、少しでも多くのものを運び出させてあげたくなってしまうけれど、半端に情をかけても、どうしようもないこともあるのだろう。

結局、荷物をすべて運ぶのは無理なので、ある程度選別して、それをおばあちゃんの友人数人の家に、ちょっとずつ分けて保管してもらうことになった。軽トラで運んで、引越しの要領で運び込む。どこの家も、余分なスペースなんてない。だけど、友人たちは、文句も言わずに手狭な家の中に、荷物を運び込むことを了承してくれる。人同士のつながりって、とても大事だとあらためて思う。「お兄ちゃんたち、お疲れ様。ありがとね。お茶っこ飲んでって」と人懐っこい笑顔。お茶を飲みつつ、おばあちゃんたちとおしゃべりをする。どこにいっても、日本のじいちゃんばあちゃんってこんな感じだなと思う。ただ違うのは、ここが被災地だということ。そして、それは、拭い去れない傷跡を、そんなおばあちゃんたちの中に残している。
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震災ボランティア日記1「気仙沼へ」

2012/01/19 00:14
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昨年10月中旬から年末までの約70日間、東日本大震災で被災した宮城県の気仙沼・大島地区に復興ボランティアとして滞在しました。当時、すでに震災から7ヶ月あまりが過ぎていましたが、各地でガレキ撤去の作業などは続いており、もともと1ヶ月ほどを予定してた滞在も、結局、倍以上の期間に延びました。気仙沼から戻り、すでに1ヶ月近くの時間が過ぎ、現地は本格的な厳冬期となり、状況も刻々と変わっていることと思いますが、被災地の現状を多少なりとも多くの人に知ってもらうために、これから暫くの間、筆者のブログにて気仙沼・大島地区で自分が見聞きしたことを、アップしていきたいと思います。取材で現地に入ったわけではないので、視点は限られているかもしれませんが、1ボランティアとして感じたことなどを、率直に綴りたいと思います。

なぜ気仙沼・大島へ行ったのか?

過去のブログ記事にもあるように、自分が遅ればせながら、震災から7ヶ月も過ぎてから被災地に向かったのは、英国滞在中に、何もお手伝いができなかった無力感がありました。なので、留学中から「帰国したら、すぐに被災地に行こう」と考えていました。とはいえ、現地に行ってもやることがない、のでは邪魔になるだけでかえって迷惑をかける。それで、現地の対策本部などに問い合わせたところ、「最近はボランティアの数が減っていて、人手が足りない」という答えを南三陸、気仙沼など各所で聞いたので、インターネット等で、必要な装備(安全靴や、テント、ガスストーブなど自炊道具も持参して)を調べて、それを揃えたのち、現地へ向かうことにしました。いざ、出発できたのは英国から帰国して1週間後でした。
 
 今回の震災では、被災地がとにかく広範にわたっている。その中からどこに行こうか?自分は当初、南三陸から入って、気仙沼、陸前高田、石巻と1週間ずつ、順番に回ろうと考えていました。特に深い理由もなく。ただ、なんとなく一箇所に居続けるより、複数の被災地を見ておいたほうが良いかなと、思っていました。すでに現地で活動しているNGOなどに、活動を紹介してもらおうかとも考えましたが、現地を見る前に、どこかの団体に所属すると、身動きが取りづらいかなと思い、まずは個人で現地へ入ることにしました。

それで、南三陸へまず入ろうと考えていたら、ちょうどそのタイミングで、アフリカで知り合った友人で、震災直後から気仙沼にボランティアとして入っている、マッサージ師のマサシさんから連絡がありました。「被災地に行くなら、ぜひ気仙沼に来るといい。まだガレキ撤去も終わってないし、僕の知り合いもいっぱいいるから、泊まる所も紹介できる」と強烈に推薦してくれました。断る理由もないし、世界中を旅したマサシさんが「ここに来ると良い」と薦めてくれる場所に興味もあったので、その申し出をありがたく受けることにしました。その電話を受けたのが、新宿のJRバスターミナル。そこからとりあえず仙台まで行って(事前予約で3000円)、バスを乗り換えて気仙沼まで向かうことにしました。仙台駅は、4年ぶりくらいでした。
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当然といえば当然ですが、昔と何も変わらぬ平和な様子で、多くの人でにぎわっていました。「仙台市街地も何らか被害が残っているのでは」と勝手にイメージを膨らませていた自分は、ちょっと面食らいました。思い込みというのは怖いものです。誤解を招くといけないのですが、東日本大震災の被災地域は確かに広範ですが、基本的には沿岸部に限られます。宮城県全体でいえば、あくまで一部です(もちろん福島原発事故の影響は全く別です)。マスコミ報道を通してしか、震災に接していないと、その距離感がいまいち掴みづらいところがあります。仙台からバスにゆられること2時間半。その間、震災の被害を感じさせる場所はほぼありません。山を越えて、三陸海岸に出ると、そこが気仙沼。駅前は静かでした。人生初の気仙沼。
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そこで初めて、自分は震災の爪痕に遭遇したのです。
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ボンゴレ白と赤

2012/01/17 23:59
イタリアで、絶妙のボンゴレビアンコ(白)を食べて以来、貝系のパスタにはまっています。
なので昨日今日と連日、ボンゴレ作ってみました。

本当はムール貝を使いたいところだけど、日本だと高いのでアサリです。
オリーブオイルで、ニンニク炒めて(これは教科書と違うかも)、そこに貝をつっこみ、白ワインを入れて
貝のふたがあくまで煮込む。塩で適度に味付けする。
それとパスタをあわせるだけ。簡単。本当は出汁とか入れたほうがうまいのかもしれないけれど、淡白な味が最近の好みなので、省略。

できあがり!
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そして赤(ロッソ)。これは作り方でちょっと迷う。ネットで調べると、赤ワインを入れる手法もあるけれど、人によっては白ワインで煮込むという。どっちでもいいので、とりあえず赤で煮込んでみた。
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で、完成
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どちらも悪くないけれど、もっと野菜を入れたいところ。そしてイタリアで食べた味には全く及ばない。もっと研究しないと。でもまあ、テキトウに作った割には合格。なんでも自分で作ると、楽しくていいです。

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1.17と3.11

2012/01/17 23:23
17年前の今日、自分は17歳だった。あのときから2倍の年齢になったのが今。
そんなに昔だったのか、と思う一方、まだそれだけしか経っていないのかとも思う。
今日の新聞やテレビの報道は、阪神と東日本の2つの震災を結びつけようとするものが多かった。
本日のNHKスペシャル「東北復興を支えたい」はまさにそんな番組だった。1.17からの復興の過程において、「後悔」に似た思いを抱いてきた3人(行政官、商店主、建築家)が、それぞれの視点から、あの経験をどう1.17に生かせばよいのかと苦闘する姿を写し取っていた。それぞれの教訓は、「行政が住民からの信頼を一旦失うと、それを取り戻すのは容易ではない」「スピード感をもって再建していかないと、街がどんどんさびれてしまう」「住民のつながりを失わない形で、住宅移転をすすめることが大事」といった内容だった。震災の種類も規模も違うから、一概に比較したり、そのまま適用することはできないけれど、17年前の経験を無駄にすることなく、生かせることは生かしていければと思う。ただ、各種報道をみた雑感としては、そうはいっても「簡単ではない」という印象が強い。

ついでながら、付け加えると、最近のNHKは(震災後ずっとそうなのかもしれないけれど)連日のように、NHKスペシャルなどで、震災関係の報道を続けている。その点、使命感をもった仕事に好感がもてる。特に先週日曜日の「海洋汚染の現状」については、これまでああいった報告を見たことがなかったので、とても衝撃的だった。東京湾にもホットスポットができていたり、潮流によって、セシウムが流されることなどが非常に分かりやすく実証されていた。しかし、これはテレビメディアの弱さかもしれないけれど、テレビで流される情報は、短時間で画面から消えていくのでどうにも心許ない。どんだけ、重要な情報でも、録画しておかない限り、再検証もできない。別に活字媒体を礼賛するわけじゃないけれど、こういった数値がものをいう、番組にテレビはやや不向きかなと感じた。NHKスペシャルで取り扱った海洋汚染の状況は、NHKのストレートニュースでも取り上げたのだろうか、それとも、そこまでのネタではないのだろうか。ちょっと気になる。セシウムの暫定基準値を越えた魚介類が増えてきたら、沿岸漁業は相当な打撃を受ける可能性もあるはずだけど、「で、現状はどれだけ危ないの?」という部分がイマイチ伝わってこなかった。東北などの漁業者は、あの番組をどう受け止めたのだろうか。

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わらしべ長者(Magic of book-off)

2012/01/16 22:38
ブックオフで本30冊くらいを売ってきた。計410円の収益。安い。でもいいんです。だって、かなりゴミ扱いの本だから。そしてその金(400円)で、この本4冊を買った。
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佐藤優の「獄中記」が一冊100円・・・。このセンス。さすがブックオフ・・・。わらしべ長者の気分。 I sold 30 of books at second hand book shop in Japan. As a result of the trade, I got 400yen(=5 dollars). And I bought 4 of second-hand books(indicated in a pic). These are brilliant books which I had wanted for a long time. Nice trade!

昔からブックオフをよく利用しているけれど、ここの100円コーナーは賛否両論あるとはいえ、宝探し的な要素があって、なかなか好きです。誰が、100円コーナー並べる本の種類を決定しているか知りませんが、きっと社内的なマニュアルがあって、それをベースにあとは店長の好みでより分けるのでしょう(たぶん)。だからかどうか、知らないけれど、たまにとても貴重な本が100円で売っていたりする。今回は獄中記の近くに同著者の「自壊する帝国」も100円で売っていた!あの傑作「国家の罠」も今や100円扱いなので(たぶん出回りすぎて)市場原理の結果ということなんでしょうが。うーん。まあでも、中古本はどれだけ買っても著者の儲けにはならないから、そのあたりちょっと胸が痛い。本当は定価で買って、印税に貢献したいのだけど(それが著者に対する礼儀な気もするし)まあ今は懐具合がさみしいということでご容赦ください。

ちなみに、今回売った本は30冊くらいありましたが、5冊くらいは「値段をつけられない」として、買い取ってもらえなかったのですが、「そのまま捨てて置いてください」といったら、引き取ってくれました。けっこうきれいな本もあったけれど、どんな基準でより分けるのか、興味深いところです。そういえば、昨日話題に上げた、「運命の人」は発売直後になぜか古本屋で一冊=50円で売っていて、びっくりしました。もちろんすぐに購入したけれど、あのセンスは本当に謎だ。
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